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愛知ボラセン 被災地ボランティアⅡー1

2度目の0泊3日の愛知ボラセンの被災地ボランティアです。
先回は、高速道路が渋滞していて、現地到着が2時間近く遅れたので、立ち寄れなかったのだと思いますが、今回は、十八成浜に行く前に津波の被害がひどかった石巻市内の門脇小学校(昨年の紅白歌合戦で長渕剛がここで歌唱したらしい)を見ることができました。
先回も、車窓から1階部分が壊れたままの建物や、不自然な更地がある一方で、コンビニがあったり、普通に生活されているらしい家屋が見られたりと、現地でのアンバランスな風景をまのあたりにして、現地で暮らす人々の複雑な思いを感じたのですが、今回まさに車でほんの数分のところで、全く違う光景が広がる現実を見て、「被害に遭う」ということの現実を感じました。







小学校の裏側が高台になっていますが、その高台の上のお宅は津波の被害は全くなく、地震の被害も大きくなかったとのこと。先回、鮎川地区の方がおっしゃっていた「地震だけなら、たいしたことなかったんだよ。津波が全部持ってった」と言われた言葉を思い出しました。
石巻市での復興計画では、一つ道路を隔てた海岸よりの地域は、行政が買い取って公園にするという案があるとのことので、同じように被害のあった陸側の住民たちにとってはやるせない状況があったりするようです。仮設住宅で暮らす人たちも、いろんな地域から集まってきているので、もとの地域の学校に通う子どもたちもいたりして、同じ仮設住宅で暮らしていながら、小中併せると27もの学校に子どもたちが通っているという状況だということです。

門脇小学校はいずれ壊されることになるらしいです。校庭の一番道路側のところにはひまわりの種が植えられていて、本葉が1〜2枚出ていました。そのひまわりが終わったころにまた来られるかなあ。



バスで10分も行かないところでは、


# by kakakai | 2012-05-21 05:53 | | Trackback | Comments(0)

ひとのあかし(若松 丈太郎 著 アーサー・ビナード英訳)

論楽社で本を2冊買いました。1冊はこの「ひとのあかし」です。原発のすぐそばで生活してきた人が眺めた原発の姿が書かれています。詩の内容もみごとなのですが、写真が身に染みます。
さて、論楽社でのアーサー・ビナードさんのお話ですが、とりあえずは、記憶だけをたよりにさわりの2エピソードを書き起こしてみます。
◎新幹線の話:仕事で青森に行くのだけど、バスで行くこともあれば、新幹線で行くこともある。僕はいつも線量計を持って乗っているけど、あるところに来ると大きく触れるのね。それは、はっきりしてる。去年の夏に青森からきた新幹線が折り返し青森に行くのに、新幹線から降りてくる人を眺めながら、この人は盛岡人、この人は仙台からなんて選別しながら、ホームで待ってたんだ。最後に、男の子2人と両親の家族連れが一番後の車両から降りてきて、その下の男の子が、新幹線大好きオーラをいっぱい出してるの。新幹線が大好きだから、さわりたくてしかたがない。手で車体をバンバン触るの。お母さんが、「手、しない」って止めるんだけど、そんなことお構いなしで触った手は真っ黒。それで顔を触ったりするものだから、顔も黒くなってるんだよね。子どもってそうやって、さわったりなめたり手を真っ黒にしたりして、体全体で感じて「新幹線」を知っていくんだよね。それが当たり前の姿。
さっき言ったように、新幹線の車体は放射能に晒されている中を走っているわけだから、車体には放射能が着いている。それをさわった子どもの手から放射能が体に入ったら内部被爆するかもしれない。でも、専門家はそんなことは想定していないんですよ。でも、実際には新幹線をさわって手を真っ黒にして、その真っ黒の手で顔を触る子どもがいるわけ。放射能が着いているかもしれない手ですよ。
御用学者たちは言います。「今すぐ影響はありません」と。20年後とか30年後には出るかもしれない。一番影響を受けるのは子どもたちですよね。でも、彼らが成長したときには、原因がわからないということになったりするわけですよ。証拠がないから。

◎鼻唄三丁矢筈斬りの話:証拠がないからわからないことのたとえで「鼻唄三丁矢筈斬り」というのがあるんですけど、皆さん知ってますか。(会場のお一人が時代小説で何度も目にしたと言われる)僕は、この言葉を落語で知ったんですけどね。志ん生の落語のマクラです。意味としては、たとえば僕が京都駅に着いたところで、刺客に斬られるんです。でもその手があまりにも素早いものだからーそれを矢筈切りと言うんでしょうねー僕は切られたことがわからないままに鼻唄なんかを歌いながら、歩いていくわけですよ。で、三丁ほどいったところ、東本願寺のあたりかな、もっと先かもしれない。そこで、虫賀さんに声をかけられ、虫賀さんが僕の肩をぽんと叩くと、体が半分に切られている。虫賀さんが僕を斬ったわけではないですよね。斬られたのは京都駅だから。でも、僕はそこで死んでしまう。その時にはもう京都駅には斬られた証拠も何も残っていない。それが、鼻唄三丁矢筈斬りなんですけどね。皆さん、今このことばしら亡い人が多いようでしたが、中学生に聞くと今の中学生はみんな知ってますよ。漫画の「ONE PIECE(ワンピース)」に出てくるブルックの技なんですね。
放射能もそれと同じ。影響が出るのはずっと後になってから。その時にはもう何が原因なのかわからない。証拠がないんですね。

アメリカが原爆をあわてて2回も落としたことの意味とか、マンハッタン計画のこととか、核の平和利用=電力というのも実はまやかしだということなど、尽きることなく原発の化けの皮をはぐお話がされるわけですが、また改めて。
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# by kakakai | 2012-05-08 00:31 | | Trackback | Comments(0)

中学生の読書2


問題集の本紹介コーナーで、伝統的な仕事を題材にした説明文に関連する本を探しているときに見つけたのがこの本で、中学生にはちょっとむずかしいかなと思われたのですが、とても興味深い内容だったものだから、私が購入してしまいました。
まだ、ちらちらと流し読みした程度ですが、挿絵がとても素敵で、内容も昭和初期のころの手仕事のありようについて解説されています。出会えてよかったなあと思える本でした。ゆったり楽しみながら読みたいと思います。
この本も、もし今回の仕事をいただいていなかったら手にすることのなかった本だと思います。

# by kakakai | 2012-05-06 19:40 | | Trackback | Comments(0)

論楽社でアーサー・ビナードさんのお話

1週間前のことになりますが、4月30日、昭和の日の振り替え休日の月曜日に京都岩倉論楽社へ出かけてアーサー・ビナードさんのお話を聞いてきました。私が彼の名前を知ったのは、アルクで日本語教師養成講座を受講していたときに、毎月送られてきたアルクのPR誌の連載コラムででした。日本語への造詣の深さと言葉遣いの巧みさに日本人である私が舌を巻きつつ読んでいたのですが、今回彼のお話を聞いて、書き言葉で読むよりもさらに一段とその日本語力に魅了されました。どういう回路で日本語を操っているのだろうと思わずにいられない。イントネーションはアメリカ人的なのに、ホワイトハウスを、世界一の広告代理店と称したり、ペンタゴンをペテンタゴンとのたまうなど、発する言葉は私など足元にも及ばない語彙とユーモアセンスと言葉遊び力でたたみかけるように話を進めていく。
その中に、戦後のアメリカの原子力政策や原発への批判をしっかりと忍び込ませて、納得させる。その話術をまのあたりにしただけでも、足を運んだ甲斐があったというものです。
お話の中身はもうすこししたらアップできるかな? かいつまんででしかできませんが。
虫賀さんとビナードさんのツーショット。無断公開ですが、お許しを。

# by kakakai | 2012-05-04 17:10 | | Trackback | Comments(0)

中学生の読書

中学校の学校教材の問題集編集のお手伝いを20年近くやっていて、去年は教科書準拠の問題集の編集(4年に1度の教科書改訂時期)にたずさわって、そのときは星野道夫の「旅をする木」に出会って(光村書店版3年生の教科書所収)、中学の時にこの本に出会っていたら(出会えるわけないけど)、違う人生歩いていたかもと思ったりしたわけですが。ちなみに、大岡信の「言葉の力」は私が中学の時の教科書にも載っていてとても印象に残っている文章だったのですが、今も光村の教科書2年に入っていて、それはそれですごいなあと思っています。毎回の改訂で(20年やっているので、3回ほど改訂を経験)、必ず入っている「言葉の力」の力には恐れ入ります。そして、それを読むたびに、中学時代を思い出してしまうのです。

さて、今年は夏休み教材用に、読書案内のページを担当させていただきました。そのおかげで、絶対に自分では手に取らないであろう本をいくつか読むことができ、それはそれでとても新鮮なのでした。読み方もいつもみたいに文章にじっくり身を任すというのではなく、どの部分を刮ぎ取ろうかという姑息な読み方をしたものだから、私にもこんな読み方ができるのだということを実感でき、それもまた新鮮なのでした。

表題作の「卵の緒」ではなく、いっしょに入っている「7's blood」のほうを読んだのですが、昭和の時代であれば泥臭く描かれそうな異母弟との共同生活がものすごくあっさりとした筆致で描かれている。母の死とも向き合うのだけれど、そのあたりもさらりと通り過ぎてしまっている。そんなふうに描かないと、「死」をまともにとらえられないのかなと思ってしまう。というか、ここであげる本すべてが、とてもあっさりとしている。今時の中学生というのはここまであっさりとした生き方をしているのかと思うほどに、淡々と生きている感。だから、簡単に読めてしまったというのもあるかもしれませんが……。


かなりな長編小説だったのですが、文字を追うだけで終わってしまった。でも、そこそこ楽しめて(あるある、子どもの時のこんな経験)、そこそこシリアスな事件(兄の事故と自殺)もちりばめられていて、それなりに読めてしまうのであった。この作品のどの部分が試験問題に取り上げられているのだろうといぶかしく思ってしまうのだけれど、逆にこの程度の作品だと、簡単に主人公の心情とか読みとれてしまうのかもしれず、問題は作りやすいのかもしれない。


この本はここで取り上げた他の本と違って、どちらかというとマイナーな作品だと思います。幸子は学校に行けない中学生(最近のジュニア小説には不登校を扱った作品も結構多かったりします。時代を反映しているのでしょうか)。すっ飛ばして読むにはむずかしい。というのはどこをすっ飛ばせばいいのかがわからない。結局、「幸子」に関係のない「庭師」さんの経歴が書かれたところをほとんど読まずにすっ飛ばしてしまったのですが、おそらく作者としては、そこのところを読んでほしかったのではないのかとも思いもし。こんなふうにして小説を読むことって滅多にないから、小説の書き方のところまで考える読み方までしてしまいました。


剣道少女の物語。2人の少女が交互に自分の剣道生活について語っていくのだけれど、剣道に対する思い入れが半端じゃないところがうらやましい。こんなふうに一つのことに夢中になれるのは10代〜20代までだなあと、半世紀生きてしまった今は思えるのだけれど、自分の10代〜20代は「夢中」という言葉からほど遠いところで生きていたから、それだけ人生というものを見くびっていたということなのだけれど(で、今になって苦労している)。


数年前に大ヒットした「バッテリー」の作者の作品。アルコール依存症の父親を持つ大阪から来た転校生との出会いによって、陸上部で走るということに違和感を抱いている少女の気持ちが緩んでいく。この作品もやっぱりあっさりしているのだけれど、心の絡み方が結構深いところにあるかなという気がします。


それにしても、私たちも中学生のころはこんな作品を読んで、生きていく生き方とか心のあり方とかを会得していったのだろうか。遠い彼方の記憶なのだけれど、当時はこんな風なティーンズ向けの児童文学作品というのはなかったような気がします。中学になったら大人で、読書するなら大人の読書だったような。……というか「ああ無情」だとか「罪と罰」なんていう本が子供用にリライトされているのを読んでいたような記憶もある。それから海外の児童文学。「クオレ」とか「にんじん」とか。ああ、懐かしい。読書の日々……。
ちなみに名作としてあげられていた作品は、芥川龍之介の「戯作三昧」と井上靖の「夏草冬涛」。深さが違いすぎると思ってしまったのでした。

# by kakakai | 2012-05-01 15:31 | | Trackback | Comments(0)

今のところ問題なし

ふと気づけば、去年の手術からすでに一年以上が過ぎてしまっていました。術後、2カ月おきに血液検査をして、そのたびに異常なし、7月のCTでも異常なしということで、あまりにも問題なく日々が過ぎているものだから、レポートもせずに一年経過。実は、facebookで、小学校の同級生や大学時代の友人とつながって、「私も『癌』。ブログ読んで共感しました」とメッセージをもらったので、ちゃんと術後レポートしなくちゃと思ったわけです。

問題がないというのはありがたいことで、今年に入ってからは3カ月に1度になりました。とはいえ、先回の子宮頚円錐切除のときも3年目でアウトだったので、ストレスためないようにしなければ。

というわけで、4月のはじめ、大阪城と吉野千本桜バスツアーに行ってきました。まずは大阪城




この後、ツタンカーメン展(1時間待ち)を見て、夜はUSJ近くのホテルだったので、ストリート散策を楽しみ、翌日はまず奈良公園で鹿と桜をのんびり眺め、吉野へ。
残念ながら、吉野は開花前。おかげで渋滞に巻き込まれることなく、人出も少なくのんびりできたのですが……。ちょっと残念。


これで桜が満開ならさぞ壮観な眺めなのでしょうが、おそらくそんな時期だと桜よりも人の多さに圧倒されそう。この景色から、満開の桜を思い描いて、想像を膨らませることができるので、その方が美しさを堪能できるのかもしれません。
確かにテレビやネットの画像で満開時期の桜を見たことはありますが、実際に吉野まで足をのばすことで、『場所』を体で味わうことができるのは旅のよさですね。旅写真を公開しながら、こんなこと書くのは矛盾しているのですが。

# by kakakai | 2012-04-23 14:52 | | Trackback | Comments(0)

マグカップ


数ヶ月前に電動ろくろで作ったマグカップ。ろくろでカップの形にするのは、数分の作業なのに、底が分厚いから、1個削るのに30分くらいかかり、さらに取っ手をつけるのにも時間を使う。
……と言い訳しますが、何カ月も行かないで、放ってあったんです。それでも、ちゃんと覚えていてくださる教室の先生に感謝です。
土はすべて黒みかげ。釉薬は左から、織部、伊羅保、灰黄瀬戸、志野。
中の二つは、お世話になった方に差し上げました。取り敢えず、差し上げられるだけのものができるようになったのは、嬉しいことです。

# by kakakai | 2012-04-23 13:13 | | Trackback | Comments(0)

愛知ボラセン0泊3日被災地ボランティア4

帰りの車内では、一人ひとりがその日の感想を述べました。行きの決意表明(?)の時よりもずっとことばが当たり前に口から出ているような感じで、皆さんその日の感想を語っていました。

朝は中央道で迎えました。先頭の補助席に陣取って、朝の山のパノラマ景色を堪能させていただきました。








そして、東別院に戻ったのは4月1日の午前7時半。「お帰りなさい」とでかでかとマジックで書かれた段ボールを持った人々に迎えられました。誰もいないところに戻るのではなく、こうしてまっていてくれる人がいるところに帰ってきたというのにとても感動しました。

4月1日の朝の東別院の桜です。

改めて思い出すのは、阿部邦子さんが最初に語ったことばの中で「ハプニングがあったとき、困ったことが起こったときに、それを楽しめる心を持ちなさい。どうやったらうまくいくのか、そのためにはどう行動したらいいのかを工夫することで前向きに考えられる。そして好奇心を持ちなさい」と言われたことです。東日本大震災というとてつもなく大きなハプニングを背負って今まで生きてこられた方のことばだからとても重みがある。
とりあえず、次は5月19日出発の回に申し込みました。

# by kakakai | 2012-04-06 06:21 | | Trackback | Comments(0)

愛知ボラセン0泊3日被災地ボランティア3

4時に作業が終わって、再び十八成浜の集会所に戻り、終わりの会。阿部邦子さんがこの日の感想で、突然雨が降って、ずぶ濡れになった人もいるけど、私の話を聞く聞き方からみんなの熱意が伝わってきた。聞く力も大きいということを言われました。その後「食事作り班」「心くばり班」「チーム恭一班」「鮎川班」各グループから2人ずつ前に出て、感想発表。私も久しぶりに人前で話すという経験をしました。食事作り班の人は1時間遅れのスタートでお昼の時間に食事が間に合うか、ご飯の炊飯に失敗して固くなってしまったのには本当にあわてたこと、心配り班の人は、愛知ボラセンのニュースレターとお弁当を各戸回って配り、それぞれのお宅で温かく迎えられて素敵な時間を過ごせたこと、チーム恭一班は、午前中の掃除では土の中からレコードや茶碗や子どもの靴などが現れるのを見て、更地になっているこの場所で生活が営まれていたことを改めて感じたことなどが語られました。
それから、豊田の中学校で募金活動をしたお金の授与式(写真の右が中学生代表、左が十八成浜の恭一さん)。このお金は神社の鳥居再建費用に使われるとのことです。


バスに戻る道道でようやく浜の様子を撮る気持ちになれました。

更地になった地面には生活があったことを物語るものがまだ残っています。

黒いビニール袋が山積みされていました。この中には何が入っているのだろう?

震災前はこのあたりはきれいな砂浜で、踏みしめるとくっくっと音がするから十八成浜(くぐなりはま)と名づけられたと言われています。地盤沈下が進んで、浜がなくなってしまったとのこと。

私はこの景色を見るのが初めてで、ここの震災前の姿を知らないで見ているのですが、ここで暮らしていた人は、以前の景色が目に焼き付いていて、それがあってこの景色を眺めるのですから、その心に抱く思いというのは、どんなものなのだろう。白い波が立つ荒れる海のような思いが心の中を渦巻いている。

# by kakakai | 2012-04-05 06:21 | | Trackback | Comments(0)

愛知ボラセン0泊3日被災地ボランティア2

途中、高速道路で事故による通行止めがあり、下道を通ったらしく(といってもその間殆ど寝ていたので、どこから高速を降りたのか、どの程度下道を走ったのか定かではない。ただし、高速に再び乗るころはすでに明るくなっていた)、現地に着いたのは9時近く。予定よりも一時間以上遅れての到着だったそうです。

これは帰りに撮った写真ですが、遠くにバスが2台止まってます。この2台のバスで総勢120人近く、補助席も使って、名古屋から十八成浜まで辿り着いたわけです。毎回人が違うとはいえ(毎週とはいわなくとも隔週くらいで参加されている人はいるらしい)、これを毎週やっているというのがすごいと思います。
この更地になっているところは津波前は様々な家が建ち並び、人が行き来していたとのこと。集会所で阿部邦子さんが「この景色を見て、思っていたよりきれいと思わないで。いろんな色の屋根があり、人がいて、生活があったんだから。数カ月前までは、1階だけが流された家が残されていたり、がれきでいっぱいだったのが、これまでここに毎週来てくれた愛知ボラセンの力もあって、ここまでになりました。これまでのつながりがあるからこそ、今があるのです。まず、ここに来たことで90%ボランティアはなされているの。あとは、皆さんが、この景色を見て、ここの人たちと触れあって、何か持って帰ってください。」と挨拶されました。

(実はこれも帰りの風景ですが、)集会所はボランティアで溢れていました。朝の時は、まだこれから何が始まるのかという緊張感がただよっていたのですが、帰りの空気は終わったことの安堵感と、疲れと、体験したことの重さとが部屋中に充満していたように思います。空気の違いはバスの中でも感じました。

私は、ここからさらに北に少しのぼった鮎川浜の仮設住宅の集会所で、刺し子作業をされている方たちといっしょに半日過ごしました。着いた瞬間に、いらっしゃい、ありがとうねと笑顔で迎えていただき、そのままほとんどすぐに作業の輪の中に入らせていただきました。刺し子作業についてはまだまだ試行錯誤の段階で、津波以前は、それぞれ自宅で何らかのお仕事をされていた方たちが、なにかできないかということで、愛知ボラセンの方で様々な提案をしていて、今は刺し子をされているとのこと。どんな製品ができるのか、これからどうやって商品化していくのかを、考える段階なのだそうです。でも、とりあえずは皆さん、それぞれ、コースターキットを手に刺し子をされています。私が、ブログとかで紹介したいのですが、写真にとってもいいですか? と聞くと二つ返事で、どうぞどうぞとポーズをとってくださいました。
写真は午後のものなので小さな部屋ですが、午前中はとなりの3倍くらいある部屋でのびのびとやってました。雨が降り出して、少年野球の子どもたちが、昼食を食べるのに使うことになったので、小さな部屋に移動したのですが、その移動の時も、皆さんで道具を運び、机を並べ、にこやかに子どもたちを迎える準備をされていました。食事の時、となりの部屋から元気な子どもたちの声が聞こえてきました。退団式だったようで、6年生の男の子が挨拶する中で津波に触れているのが漏れ聞こえ、何か言い間違えたことに周囲が笑うのも聞こえ、1年以上が経ったということを改めて感じました。
私は、途中からいっしょに刺し子を始めてしまい、となりに座ったおばあさんとときおり声を掛け合いながら、針を一針一針進めていたのですが、他の皆さんのおしゃべりは耳に入ってきて、普通に世間話をする中で、ふわふわーっという感じで、津波の時のこととか、亡くなった方のこととか、まだ見つからない方のこととかを話されて、それぞれがあの人はああだった、水の出方がこんなだったと、当時のことを振り返っておられるのでした。時にはそれに相槌を打ったり、ことばを拾って質問したりして、時間を過ごしました。気がついたら4時になっていて、私は始めた刺し子を終了させることができないまま、集会所まで持ち帰り、集会所でなんとか仕上げました。(写真で、テーブルの手前のほうに広がっている白い布が私の刺し子)
「地震だけなら、どうってことなかったんよ。津波が全部持っていった」ふわふわーっと話された中で、このことばだけはことばとして耳に残っています。

# by kakakai | 2012-04-04 07:10 | | Trackback | Comments(0)

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