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こころにごはん ghome.exblog.jp

心のごはんは、どんな味?


by kakakai
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《多文化共生社会》

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今年の初日の出


今年は暖かい冬だと思っていたら、いきなりの寒波到来があり、でもやっぱりしばらくするとそこそこに暖かく、雪は今のところ名古屋では2回しか見ていません。本当のところ、やはり、大寒辺りは体を突きさすような寒さを感じないことには、どうも春を迎える準備ができないと思うのです。と思っていたら、あっという間に立春が過ぎ、旧暦の新年を迎え、建国記念の日も過ぎてしまいました。まさしく、2月は逃げるですね。今年は、立春のあとに旧暦新年。こういうのは珍しいんじゃないかと思ったら、1年おきくらいにはある当たり前のことらしい。ちょっとしたことでも新しい発見というのは面白いものです。年始の占いで、私の今年のキーワードは「遊」と出たので、ガツガツ働くことなく、こんなちょっとした発見を楽しみつつ、大いに遊んで生きていこうと目論んでいます。20年近く前、よく当たるという占い師に、あなたはお金に困ることはないと言われたことをきっちりと覚えていて、まあのんきに構えています。私が子どものころなら定年を迎える年。隠居して、自分の好きなように生きる年頃なのだと決め込んでいます。

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先号の最後に、飛行機に乗ってどこかに行きたいと書いたのですが、今のところ第一候補はオーストラリア。四半世紀も前に自費出版した「オーストラリアだより」を最近知り合った人に配りまくって当時のことを思い出したり、オーストラリアの多文化主義についての話を聞く機会があったりしたものだから、28年前にホームステイをした小学校教師とコンタクトが取れるかなと、facebookで名前を検索したらヒット。ずっと音信不通だったのだけれど思い切ってメッセージを送ったら、彼女もちゃんと覚えていてくれて、返事が来た。調子に乗って会いにいってもいいかと書いたら、「もちろん」と返ってきたからには、行かなくちゃという気分です。ところで、彼女へのメッセージは、英語で書くのだけれど、油断すると、頭の中で日本語から最初に変換される言語が英語ではなくスペイン語になっている。確かにここのところ、英語は週に1回「ニュースで英会話」をテレビで見るか見ないかで、スペイン語のほうはほぼ毎日聞いているというのがあるかもしれないけれど、それにしても語彙数とか使用履歴は圧倒的に英語の方が多いというのに、外国語に変換しようという時に最初にホワンと浮かぶ言語がスペイン語になってきたというのに我ながらびっくりなのでした。

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ブエノスアイレスの朝さんコース


 ラジオで聞いている「まいにちスペイン語 応用編」は、一昨年、アルゼンチンにいたときに朝さんしながらiphoneで聞いていたのと同じ内容で、テーマ音楽と講師の声が聞こえてくると、心も体もふわっと時空を超えてブエノスアイレスの朝さんコースに行ってしまい、公園で仲良くなった人たち(金髪の人もいれば、黒人の人もいて、近々コロンビアに帰るという人もいた)と「ブエン、ディア」と挨拶を交わしていたことを思い出してしまいます。
 1月に、今年初めて開催された「なごや多文化共生まちづくり会議」というのに参加したときに、「多文化共生」という言葉の持つ感覚について、改めていろいろと思いを巡らしたのでした。多文化共生という言葉に最初に意識的に出逢ったのは、知的障害者関係の講演会のテーマだった気がします。そのときの講師の方が、これはもともとは外国人支援関係での用語だと言われていました。それと前後して、視覚障害関係のワークショップで、「ダイバーシティ(多様性)」という言葉にも出逢ったのでした。こういう出逢い方をしたうえに、知的障害児・者の施設で長く勤めていたこともあって、私にとって多文化共生といえば、障害者との共生社会がぶわーっと広がるのでした。でも、一般的に行政やメディアなどで「多文化共生」といったときの「多文化」というのは民族の違いとか肌の色の違いとか宗教の違いとか思想の違いを表していて、その違いを認め合い、ひっくるめた社会が、多文化社会、多様性社会と呼ばれています。

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熱田さん初詣


 私が初めて海外に行ったのは中学2年の夏休み。新聞社が主催した中学生のための海外体験プログラムみたいなもので、カナダのバンクーバーに一週間くらい滞在したのでした。現地の子どもたちとの交流会とかもあり、そこに日本人のような顔をしている子がいるということに、私は心底驚いたのを覚えています。そして、私がごくごく当たり前の感覚で日本語で話しかけたのに、ちんぷんかんぷんという表情をされ、彼らが日本語を話さず、自然な調子で英語(たぶん)で会話しているのにも、心底驚いたのでした。心底です。なんせ世間知らずの中2ですから。
 それから15年を経て、20代後半の9カ月をオーストラリアで過ごし、現地の小学校でクラスの半分くらいが他国の出身であることに、当時の私はやっぱり心底驚いたわけです。さらにまた15年を経て、50代前半の9カ月をアルゼンチンで過ごし、日系社会の小学校では日系以外(ヨーロッパ系、中国系)の子どもたちも含めて、日本の童謡を歌ったり、日本の童話の読み聞かせがされているのをまのあたりにしたのでした。
 オーストラリアでもアルゼンチンでも感じたことは、「違う」ということが当たり前の世界であるということでした。逆に、日本というのは「同じ」ということが当たり前の世界であるように思うのです。幼稚園の時から先生たちも含めて無意識に「みんなといっしょ」意識が脳内機能にきっちりと埋め込まれてしまう。「ほら、みんなとちがうでしょ。こうしたらいっしょになるよ」というような声かけが、ごくごく自然に口をついて出てくる。そういうことをくり返し言われたり、自分でも言ったりしているうちに「みんないっしょ」精神が身についていく。

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名古屋港の夕日


 「みんなといっしょがいいよね」感覚が当たり前で育ってきた子どもたちが、実は世の中って「違う」ことの方が多いんだよと学校を出てから知るというのはとてもショッキングなことなんじゃないだろうか。学校の先生っていうのは、「学校」という世界しか知らない人が多いから「みんないっしょが居心地いい」と無意識に思っているんじゃないかしら。そんな教え方を伝統的にくり返したりしているのが学校の先生だと思う反面、「違う」ということを教えられるのも教師しかいないのだということも、感じています。けれど、最終的に自分の生き方を決めるのは自分でしかないということも教師は教えなくてはならない。私、教師を辞めてよかったとつくづく思う。
 日本という国は「自分は正真正銘の日本人だ」と思っている人が圧倒的多数を占めている国で、だから「みんな同じで安心できる。ちょっとくらいの違いは目をつぶってしまおう」という感覚に普通になじんでいる。「多文化共生」というのは、「みんな違ってみんないい」というのとも違う。いろんな国の人が赤ちゃんも子どもも障害者も労働者も高齢者も当たり前に日本で暮らし始めていることに、目をつぶってはいられない。

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ふるさとの空


 今や日本でも、外国につながる子どもたちが、児童数の6割を占めるという小学校が存在する時代になりました。「和食」は世界文化遺産に登録され、日本の「まんが」は世界中で愛読されています。外国で暮らす日本人は、彼の地での生活に少しでも慣れようと、多少の不便には目をつぶって生活しているのかもしれない。日本で暮らす外国人は、不便を感じながらも、これが生活なんだと割り切っているのかもしれない。「多文化共生」という言葉遣いそのものが、本当のところどういうことなんだろうというような気分になってきています。
by kakakai | 2016-02-20 20:16 | Watakushi通信