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こころにごはん ghome.exblog.jp

心のごはんは、どんな味?


by kakakai
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恐るべしインターネット

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あいちトリエンナーレ岡崎会場 ペンタルム・ルミナリウム


今年もあっという間に年の瀬を迎えました。12月10日締め切りの太宰治賞に出す小説をなんとか仕上げようと必死だったものだから、それまでは、年の瀬気分にもクリスマス気分にも全くならず……。何とか10日に100枚書き終えて送ることができ、とりあえず清々しい気分で年は越せそうです。と安心している間に、天皇誕生日も過ぎ、クリスマスも過ぎてしまいました。来年早々の1月29日には社会福祉士資格取得のための国家試験を控えているというのに、その準備はほとんどできていない。11月の終わりに模試があって、その結果が帰ってきたのですが、80点。これでは、合格ラインには届きません。あと一か月、何としても合格するために精進しなければ。と書きつつ、「Watakushiつうしん」を書いているという矛盾。面倒くさい勉強からは何とかして逃れたい、という心情が表れています。何をしていても時間は容赦なく過ぎていくということを最近特に感じています。でも、その時間の過ぎていく中にいる自分は、その瞬間に時間が過ぎているということを現実的な流れとしては感じていない。「今」と書いた「今」はもう「今」じゃないという当たり前の哲学的な思考が、おもしろいと感じるなんていうのは、こんな年になってもまだまだ煩悩から抜け出せないということか。

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あいちトリエンナーレ伏見会場 ベロタクシー


 どんな仕事をしているのかと問われたら、「いろいろ」と答えるしかない。いろんなことを仕事として楽しめるならそれでいいと思えるようにやっとなれたということかもしれません。来年は、外国語学校での日本語教師、知的障害者施設でのグループホーム世話人が定期的な仕事となり(たぶん)、不定期に入る(と信じている)学習教材出版社の問題執筆や校正などで、とりあえずは糊口をしのぐことになります。賃金を得るための仕事だけではなく、いろんな活動とプライベートな時間全てがあって自分の人生が成り立っているということもあるけれど、もう少し収入がないと生活はかなり厳しい状況です。小説なんて書いている場合じゃないかもしれないけれど、今年は小説を書くことで自分と向き合うこともでき、これからもこうやって自分と向き合うことを楽しみたいと思い、だとしたらこういうフリーな状況が私には一番あっているなあとも感じています。小説を書いていて、思わぬ言葉がひょっこり出てきたりするのも、そういう自分の人生がじりじりとあぶり出されているのだと。未来なんていうのは、どんな人にとっても決まっているとは言えないことなのだけれど、明日が当たり前にくると思っている人があまりにも多い世の中で、明日はどうなるか不安を抱えつつ、自分の有り様をじっくりと味わいたいものです。

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あいちトリエンナーレ岡崎会場 石原邸 兵士のプラスチック人形でできているLOVE




 初めて自分自身のパソコンを買ったのはWindows3.1のころで、当時バイトをしていた中京女子大学の大学院の助手だった先生に、これからはインターネットの時代ですよと言われたのを覚えています。研究室で画面を見せられ、それはたぶんアメリカの大学か何かの研究室で造られた衛星画像だったと思うのですが、「これが世界につながっていて、世界中で見られるんですよ、なんせ、World Wide Webなんですから。まだまだ繋がるところは少ないですけど、これからブワーッと拡がりますよ」と。が、私自身はその画面を見ても全然ピンとこず、ただの衛星画像だし、そんなのはテレビでも見られるから大したことないと思っていました。それよりも、見ず知らずの人と知り合いになれて言葉のやりとりができるメールサービスのほうが先駆的だと思っていたし、それより何よりパソコンそのものがドラえもんのポケットだったのです。

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あいちトリエンナーレ岡崎会場 石原邸


 インターネットのWebサービスに積極的に関わるようになったのは、出版社の契約社員になったときで、「yahoo!で検索すれば、何でもわかる」ということを教えてもらい、Windows95を使うようになって、さらにドラえもんのポケットの世界が拡がり、今もつきあっているパートナーさんの影響で、OSをWindowsからAppleに換えたらさらにおもしろくなって、今となっては、私の生活の中でインターネット(WWW)のお世話にならない日は、一日たりとてありません。そして、テレビはニュースすら見なくなってしまいました。
今年の初め、ここ数年連絡を怠っていた、オーストラリアでのホームステイ先の女性の名前をインターネットで検索したら、彼女自身に間違いないという女性が見つかって、連絡を取り合うようになったことは前にも書きましたが、ごく最近、そのときとは逆のパターンで、ホームステイをしていた先の家族からのメッセージに私が気づくということがありました。その家族とは、28年前にオーストラリアを離れて以来、一度も連絡を取っていませんでした。
メッセージの履歴を見ると、最初はお父さんが3年前に私を見つけてくれていたようでした。その後に見たことのない女性からも同じようなメッセージが届いていたのです。「あなたは何年か前に交換教師としてオーストラリアのワンガラッタに滞在し、我が家でホームステイをしていませんでしたか」と。あれこれ想像を巡らし、それが当時4歳だった娘さんだとわかりました。彼女がメッセージをくれたのは、私がアルゼンチンにいたとき。メッセージのことなど忘れているかもしれないと思いつつ、とりあえずお二人それぞれにメッセージの返事を書きました。そしたら、娘さんの方からすぐに返事が返ってきたのです!

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あいちトリエンナーレ 愛知県美術館10F


彼女は32歳になっていて、なんと、当時の私の年齢より4つも年上。結婚してフランスで暮らしていること、お兄さんは東京にいること、ご両親と弟さんはメルボルンにいることなどを教えてくれました。そして、彼女が言うには、当時ワンガラッタという田舎の土地で外国人が自分のうちにやってくるなんてことは、めっちゃ大きなことで、だからよく覚えているのだとのこと。なんだかそれだけで、ワンガラッタにいたかいがあったと思ってしまいました。そして翌日、押し入れから当時のアルバムを引っ張り出し、彼女が映っている写真を探して、その写真をスマホで撮って彼女に送ると、彼女は、着物を着たことをよく覚えている、私の顔も覚えていると返信してくれました。
当時は、ホストファミリーの電話を借りての国際電話は高いから、そんなに簡単にはかけられなかったし、日本の情報だって月に1度事務所から送られてくる新聞の月間要約記事くらいのものだったし、カメラもフィルムのもので、毎月のように現像していたことを思い出し、2年前のアルゼンチンでは、オーストラリアよりもさらに遠いところにいたのにもかかわらず、インターネットを使えばただで電話もかけられ、日本の情報もリアルタイムでわかるようになっていたことに隔世の感があるなあと思ったのですが、今回のできごとでまた改めて月日の流れや歴史や科学や通信技術の発展やなんやかやが一気に駆け巡りました。

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あいちトリエンナーレ 愛知県美術館8F


そして、この彼女とのやりとりがきっかけとなって、彼女のご両親ともつながり、私はオーストラリアの人たちと改めて連絡を取ろうと思い立ち、2年ほどメールを出していなかった別の家族にメールを送ったら、返事が返ってきたりと、2016年という年が終わろうとしているときに1989年がぐわぐわと押し寄せてきました。それも、当時は全く想像もできなかった形で。彼女が私にコンタクトをとろうとしてから2年という時を経て、28年という歳月の隔たりのあと、たった数日という短い時間で、改めてつながり始めたというのが、まったくもって不思議です。恐るべしインターネット。
 あと数日で新しい年が始まるわけですが、なんだかワクワクどきどきがいっぱい待ち受けていそうな予感がします。3月末には1週間だけですが、アルゼンチンに里帰り。そのあとはオーストラリアもあるか? 稼がねば!

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あいちトリエンナーレ 愛知県美術館B1F


年の終わりの最後の最後にノロウィルスに感染。下痢と嘔吐で終始した12月29日でした。そしてSMAP解散がけっこう重かったりする一年の終わり。
by kakakai | 2016-12-29 23:57 | Watakushi通信